“安全な剣道用具の開発研究”

東京農工大学大学院共生科学技術研究部
生命機能科学部門教授 百鬼 史訓

【人類動態学会2005シンポジウムより】
氈@まえがき
 “現代剣道”と言うと、その歴史は竹刀と剣道具(防具)が考案された江戸時代中期に遡ることになるが、闘争形態として代表的な武器である“剣”を活用していたことを考えると歴史はさらに古くなる。いずれにしても、有史以来、戦闘のための代表的な武器として重宝されてきたのである。その戦闘集団としての武士の出現により闘争技術の影響を受けながら武器としての進化を遂げていったのである。つまり、両刃の“剣(つるぎ)”から、騎馬戦に有利な片手で操作しやすい片刃で反りの大きい“太刀(たち)”へ、そして白兵戦に有利でありまた日常的に帯刀(たいとう)できる“刀(かたな)”へと進化していったのである。
 天下が平定された江戸時代になると、武士は有事のために修練に励むことになるが、多くの剣術流派では、木刀を使用して形を修練することにより剣術の稽古をしていたところ、それに変わって竹刀による“竹刀剣術=竹刀打ち込み稽古=撃剣”が始まり、現代剣道の原型ができたのである。
今日の剣道は、柳生新陰流の「殺人(せつにん)刀(とう)」から「活人(かつにん)剣(けん)」への教えに代表されるように、武士の人間修養、強いて言えば人間教育を目的として今日まで継承・発展されてきていると言えるのである。まさに、“剣”から“竹刀”への変遷は、闘争としての “武器”から人間教育のための“道具”として昇華してきたのである。
そこで今日、運動文化としての“剣道”を享受しようとするときに必要なキーワードが“安全”ということになる。“竹刀”を用いて相手の打突部位を打突する剣道は、往々にして相手に危害を及ぼすことが生じるの。如何にして安全に楽しく剣道を行うかが、剣道発展の重要課題と言えるのである。

 研究の紹介
1.竹刀の規格と安全

 天然素材の “竹刀”は、使用しているうちに、線維の「ささくれ」や破折が起き易く、それがもとで重大な事故につながることがあり、竹にかわる素材開発が待望されていたのである。それを受けて、化学製素材を使用した“カーボンシナイ”が開発された。これは、木材チップを接着し、周りをカーボングラファイト線維の板で取り囲み、プラスチックに包埋したものである。“竹刀”との物性比較の結果、弾性が高くよく撓うことから打撃力最大値は小さく力積が大きくなるものの、個人差や技能差のバラツキに比べれば極めて小さな差であることから、使用が公認されたのである。
竹刀に関するその他の事故例として、竹刀の先端部が丸ごと面金内部に突入したり、1本または2本の竹片が瞬間的に先革から抜け出て、相手の眼や眼窩部周辺に傷害を加えることなどがある。これらの事故を防ぐために、竹刀重量だけでなく竹刀先端部直径を太くしたり、竹刀付属品である“先革”の長さを50mm以上とし、さらには“中結”の位置も剣先より全体の約1/4に固定することなど、規則を改正して新しい竹刀の安全基準を設けたのである。

2.剣道具(防具)の安全
 竹刀先端部が面金に突入する事故の原因は、“面金”そのものにもあることから、“面金”の“物見部”(上から6本日と7本日の間)横金直径を、これまでより0.5mm太くして強度を高め、さらに、物見幅を15mmとし、高さ(面金を横にした場合の台輪から縦金までの距離)も75mmと統一した。
剣道の有効打突の条件に「充実した気勢、適正な姿勢をもって、竹刀の打突部で打突部位を刃筋正しく打突し、残心あるものとする」とあるが、どの程度の強さで打てば良いのか基準は極めて曖昧である。しかし、実際にはどの程度の強さで打突しているのであろうか?剣道具の安全性を検討する上で、極めて重要な基礎的検討事項である。そこで、打突力を測定する装置を製作して、実際に剣道選手の「面」、「小手」、「胴」そして「突き」の打突力を測定したところ、打突技術や打突部位そして被験者の特性などによって、力の大きさが異なることや3分力成分も異なることが明かとなった。このデータを元にして剣道具の種類や素材の相違による緩衝性能を明らかにする上で必要な打突力強度を設定することが可能となった。 この打突力発生装置や測定装置システムにより、剣道具(面・小手布団、突き垂・用心垂れ、胴)の緩衝性テスを行なう事ができたのである。布団の刺し方が二分五厘のように、荒い縫い目の布団の方が一分刺しのように細かで高級な布団よりも緩衝性能が高いこと、芯材としてフェルトよりも真綿のような含気性の高い材料の方が緩衝性能が高いこと、さらに化学製品の緩衝材なども緩衝性能を高める上で利用できることなども明らかとなった。また、小手布団の方が面布団よりも緩衝性能が低いことが明らかとなり、これまでの打突力の先行研究によれば基本打突の大きく振りかぶった小手の打撃力は、面よりも大きいという矛盾が発見され剣道具の規格に考慮されることとなった。また、小学生の打撃力は意外と大きく、特に基本打突ではかなり大きな力が発生する。そのわりには小学生が使用している防具は緩衝性が低いことが明らかとなり、より緩衝性の高い布団を使用させることや、指導稽古における小学生相手の打撃は、十分な配慮が必要であることを提言したのである。
 平成7年からのPL法の施行に伴い、平成10年に製品安全協会を中心にジャパン武道用品工業会と全国武道具連合会が剣道用具の規格を制定することになった。これまで、規格らしい規格が無く、伝統的・経験的に工法や寸法などが継承されてきた剣道業界にとっては、歴史的に画期的な事業と言える。これらの内容は、安全性の観点から最低限の緩衝性能を確保するよう、剣道具の寸法や工法・材料など細かく規定しており、これまでよりは格段に安全性が高まったものと自負している。
一方、剣道の国際化が進む中で、剣道用具の製造拠点が海外(中国)へ移動したことを考慮に入れると、剣道用具の国際規格を至急作成する必要があり、総合的な観点からの検討が必要となっている。
 さて、これらの基準は市販されている剣道具の物性基準を基にしていることから、既存の剣道具が果たして本当に危険性が無く、安全性が高いといえるのか?あるいは、さらに安全性を高めなくてよいのか?などの根本的な疑問が生じる。生涯武道としての剣道を考えたときに、より多くの高齢者の健康と安全への配慮が求めら、また、最近の若者の体格向上や国際化に伴う体格の優れた外国人剣士のことを考慮すれば、さらに安全性への配慮は益々重要となる。
そこで、剣道の打突が剣道具を通して相手の身体特に頭部(脳)や頚椎などに加わる衝撃力の影響について検討するためにシミュレーション実験を行った。自動車衝突実験用ダミー人形に「面」を装着し、それに対して打突を加えて頭蓋内に装着された加速度センサーによる加速度変化や頚部3軸荷重や3軸まわりのモーメントなどの測定を行い、頭部および頚部への影響を力学量から検討した。その実験結果からは、JARIによる頭部の耐性曲線のデータを基準とすると、一回だけの打突では頭部の障害発生(脳挫傷・脳震盪など)の可能性は極めて低いことが明らかとなった。しかし、連続的な打突力の頭部への影響については今後の継続的課題となっている。
 “突き”動作に伴い発生する力は、突き垂と用心垂によって咽喉部(のど)への直接的な衝撃が防がれている。しかし、過去にも頚動脈内壁損傷から生じた血栓が脳梗塞を発症させ死亡するという悲惨な事故例が報告されている。より安全なそれらの構造や材料についての検討が緊急課題といえるのである。